前田真三さんの
風景写真に魅了される
写真との出会いは高校生の時からです。とにかくカメラがほしくて、父親に無心したのですが、何と自分が一番ほしかったオリンパスOM-10 を買ってくれたのです。何より嬉しかったのは、父親が自分の好きなことを認めてくれたことです。初めてシャッターを切ったときはまさに胸が躍りました。
 下級生に写真に詳しい生徒がいて、暗室で現像を教えてもらいました。自分が撮影した写真がどのように表現されてゆくのか、これは自分で現像して見ないとわからない快感でありモノクロ写真の醍醐味です。 
 大学時代は写真と距離を置いていましたが、奈良の街にずっとあこがれていました。卒業して就職しても奈良への憧憬は抑えることができないほど高まっていました。いつかは奈良に住みたい、そうずっと思い続けていました。
 1991年に結婚したのですが、妻には「結婚したら奈良に住むから」と結婚前から宣言していまして、とうとう念願の奈良に住むことができました。自分が選んだのは奈良の桜井市という街です。ここは歴史と花の街としてよく知られ、「日本書紀」や「古事記」「万葉集」にも登場する、12代も宮都が置かれた「国のまほろば」といわれている日本の発祥の地のようなところです。
 結婚して最初に手に入れたのがニコンF3です。レンズもいろいろ揃えました。それからというもの、寝てもさめても奈良の美しい風景、自然を追い続けました。休日などは日の出前に目的地に到着し、朝の澄み切った空気の中でシャッターを切り続けました。
 当時は写真家の前田真三さんにあこがれていました。前田さんの撮る風景写真はダイナミックで森や林のとらえ方に独自の世界観がありました。まるで絵の具をキャンバスにこぼしたような幻想的な風景写真が多かった。自分も前田さんのような写真が撮りたい、という一心で前田さんの撮影データを全て頭に叩き込んで、出かけることもしばしばでした。自然や風景写真にのめりこんでいったのです。

被写体は自然、風景から「ひと」へ。
もうひとつの奈良が見えてきた
しかし、あるときふっと美しい風景写真ばかり撮っていていいのだろうか。競って撮影ポイントを奪い合い、まるでマシンガンのようにシャッターを切り続けていていいのだろうかと自問自答するようになっていきました。
 きっかけは桜井の村の人たちとよく会話するようになったことです。その村には生活があり、人間が住み、喜怒哀楽をみんなで共有している。生活が苦しい人もたくさんいて、学校や保育所などの施設も過疎の影響をまともに受けている。こうした現実を目の当たりにして、これまで自分が撮っていた自然や風景写真に「コメント」が付けられなくなっていきました。
 ここから、自分の写真は風景から人間へとシフトしていきました。
 ただ、人を撮るには人と会話をしなければなりません。その人を良く知って、シャッターを切らせてもらわなければ、撮影させてもらった人だけでなく、写真を見る人の共感は得られません。その土地に住む人とふれあい、田んぼの畦に座って昔のことを振り返える。今抱える不安に向き合い、お互いに涙し、あるいは嬉しかった出来事を一緒になって大笑いする。そうしたふれあいの中から、もうひとつの奈良が見えてきました。風景写真を躍起になって撮っていた自分に空しさを覚え、「きばらんでも人間をありのままに撮っていこう」という気持ちが芽生えたのです。
 その時からカラー写真をやめて、またモノクロ写真に戻ろうと決意しました。

共感しあえる
モノクロ写真を撮り続けたい
村の人たちと喋りながら撮影する、というスタイルがだんだん自分のものになっていき、あるとき廃校になった公民館で個展を開きました。村に住む、おじいちゃん、おばあちゃんそしてお母さんや子どもたちの日常的な風景をモノクロで約50点展示しました。何より、被写体になってくれた人が喜んでくれたことに大きな感動を覚えました。
 その後も学童保育所に1年間通って、母子家庭のお母さんや子どもたちと喋りながら、写真を撮ったり、奈良を襲った空襲について話を聞いたりして、新しい被写体とめぐり合っていきました。
 意味のないものは撮りたくない、コメントの付けられない写真は撮りたくない、そう思うようになっていったのです。つまり、写真を媒介にして人と人が共感しあえるコミュニケーションをつくっていきたいのです。それが自分に課せられたアマチュアカメラマンとしての課題ではないかと思うようになりました。
 美しいものしか見ない、きれいなものにしか目がいかない、これでは、人の心の痛みもわからないような人間になってしまう。写真だって同じだと思います。
かつて、田んぼに張ってあった網がバックの風景の邪魔になると思っていましたが、農家の人と話して、この網は稲を鹿や猪から守るためのものとわかった。それ以来、網は被写体として絶対に必要なものだと思うようになりました。
 これからも、奈良に住む人たちの心の中に飛び込んで、新しい被写体を発見し、モノクロの世界で、共感しあえる写真を撮り続けたいと思っています。